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ひふみ神示 第五巻 地つ巻 全卅六帖   自 昭和十九年九月十五日 至 昭和十九年十月十一日  一三八帖―一七三帖

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第一帖 (一三八)13 昭和十九年
地つ巻書き知らすぞ、世界は一つの実言となるのぞ、それぞれの言の葉はあれど、実言は一つとなるのであるぞ。てん詞様の実言に従ふのざぞ、命の世近づいて来たぞ。
九月十五日、一二

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第二帖 (一三九)12 昭和十九年
今は闇の世であるから夜の明けたこと申しても、誰にも分らんなれど、夜が明けたらなる程さうでありたかとビックリするなれど、それでは間に合はんのざぞ、ぞれまでに心改めておいて下されよ、この道信ずれば、すぐよくなると思うてゐる臣民もあるなれど、それは己れの心のままぞ、道に外れたものは誰れ彼れはないのざぞ、これまでのやり方スックリと変へねば世は治まらんぞと申してあるが、上の人苦しくなるぞ、途中の人も苦しくなるぞ、おカミのいふこときかん世になるぞ。
九月の十六日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第三帖 (一四〇)11 昭和十九年
人民同士の戦では到底かなはんなれど、いよいよとなりたら神がうつりて手柄さすのであるから、それまでに身魂みがいておいて呉れよ。世界中が攻め寄せたと申しても、誠には勝てんのであるぞ、誠ほど結構なものないから、誠が神風であるから、臣民に誠なくなりてゐると、何んな気の毒出来るか分らんから、くどう気つけておくのざぞ、腹掃除せよ。
九月の十六日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第四帖 (一四一)10 昭和十九年
この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何も彼も分るのざから、よく読みて腹に入れておいて呉れよ、この神示盗まれぬ様になされよ、神示とりに来る人あるから気つけて置くぞ。この道は中行く道ぞ、左も右りも偏ってはならんぞ、いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆける様になりてゐるのざぞ、我れが我れがと思うてゐると、鼻ポキリと折れるぞ。
九月十六日、ひつくのか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第五帖 (一四二)9 昭和十九年
片輪車でトンテントンテン、骨折損の草臥儲けばかり、いつまでしてゐるのぞ、神にまつろへと申してあろうがな、臣民の智恵で何出来たか、早う改心せよ。三月三日、五月五日は結構な日ぞ。
九月十六日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第六帖 (一四三)8 昭和十九年
神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、八つの国一つになりて神の国に攻めて来るぞ。目さめたらその日の生命おあづかりしたのざぞ、神の肉体、神の生命大切せよ。神の国は神の力でないと治ったことないぞ、神第一ぞ、いつまで仏や基や色々なものにこだはってゐるのぞ。出雲の神様大切にありがたくお祀りせよ、尊い神様ぞ。天つ神、国つ神みなの神々様に御礼申せよ、まつろひて下されよ、結構な恐い世となりて来たぞ、上下ぐれんぞ。
九月十七日、一二の

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第七帖 (一四四)7 昭和十九年
神にまつらふ者には生も死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初ってから生き通しの神神様の御働きで五六七の世が来るのざぞ。腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐、神漏美の命忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国の悪わたり来て神は残念ぞ。見ておざれ、神の力現はす時来たぞ。
九月十八日、ひつ九

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第八帖 (一四五)6 昭和十九年
祓ひせよと申してあることは何もかも借銭なしにする事ぞ。借銭なしとはめぐりなくすることぞ、昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、それはらってしまふまでは誰によらず苦しむのぞ、人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、国には国の借銭あるぞ。世界中借銭なし、何しても大望であるぞ。今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ひぞ、神主お祓ひの祝詞あげても何にもならんぞ、お祓ひ祝詞は宣るのぞ、今の神主宣ってないぞ、口先きばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ。あなはち、しきまきや、くにつ罪みな抜けて読んでゐるではないか、臣民の心にはきたなく映るであろうが、それは心の鏡くもってゐるからぞ。悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしてゐるでないか、これでは世界はきよまらんぞ。祝詞はよむものではないぞ、神前で読めばそれでよいと思うてゐるが、それ丈では何にもならんぞ。宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ、神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、神のことは神主に、仏は坊主にと申してゐること根本の大間違ひぞ。
九月十九日、ひつ九の

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第九帖 (一四六)5 昭和十九年
ひつくの神にひと時拝せよ、神のめぐみ身にも受けよ、からだ甦るぞ、神の光を着よ、み光をいただけよ、食べよ、神ほど結構なものないぞ、今の臣民日をいただかぬから病になるのざぞ、神の子は日の子と申してあらうがな。
九月二十日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十帖 (一四七)4 昭和十九年
何事も方便と申して自分勝手なことばかり申してゐるが、方便と申すもの神の国には無いのざぞ。まことがことぞ、まの事ぞ、ことだまぞ。これまでは方便と申して逃げられたが、も早逃げること出来ないぞ、方便の人々早う心洗ひて呉れよ、方便の世は済みたのざぞ、いまでも仏の世と思うてゐるとびっくりがでるぞ、神の国、元の神がスッカリ現はれて富士の高嶺から天地へのりとするぞ、岩戸しめる御役になるなよ。
九月の二十日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十一帖 (一四八)3 昭和十九年
世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。その心々によりて、それぞれの教作らすのぞ。旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのざぞ。天つ日嗣の実子様が世界中照らすのぞ。国のひつきの御役も大切の御役ぞ。道とは三つの道が一つになることぞ、みちみつことぞ、もとの昔に返すのざぞ、つくりかための終りの仕組ぞ、終は始ぞ、始は霊ぞ、富士都となるのざぞ、幽界行きは外国行きぞ。神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光によりてその御役位、分るのざからみろくの世となりたら何もかもハッキリしてうれしうれしの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つあしもみな唄ふこととなるのぞ、み光にみな集りて来るのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ。
九月二十と一日、一二か三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十二帖 (一四九)2 昭和十九年
この道は道なき道ざぞ。天理も金光も黒住も今はたましひぬけて居れど、この道入れて生きかへるのぞ、日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殼ぞ、この道でたま入れて呉れよ、この道はゝぞ、○の中にゝ入れて呉れと申してあろうが。臣民も世界中の臣民も国々もみな同じことぞ、ゝ入れて呉れよ、○を掃除して居らぬとゝはいらんぞ、今度の戦は○の掃除ぞと申してあらうがな、まつりとは調和合はすことと申してあろうがな、この道は教でないと云ふてあらうが、教会やほかの集ひでないと申してあらうがな、人集めて呉れるなと申してあらうがな。世界の臣民みな信者と申してあらうが、この道は道なき道、時なき道ぞ、光ぞ。この道でみな生き返るのざぞ。天明阿房になりて呉れよ、我すてて呉れよ、神かかるのに苦しいぞ。
九月二十三日、一二

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十三帖 (一五〇)1 昭和十九年
赤い眼鏡かければ赤く見えると思うてゐるが、それは相手が白いときばかりぞ、青いものは紫にうつるぞ。今の世は色とりどり眼鏡とりとりざから見当とれんことになるのざぞ、眼鏡はづすに限るのぞ、眼鏡はづすとは洗濯することざぞ。上ばかりよくてもならず、下ばかりよくてもならんぞ。上も下も天地そろうてよくなりて世界中の臣民、けものまで安心して暮らせる新の世に致すのざぞ、取り違へするなよ。
九月二十三日、一二

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十四帖 (一五一)1 昭和十九年
この道分りた人から一柱でも早う出てまゐりて神の御用なされよ。どこに居りても御用はいくらでもあるのざぞ。神の御用と申して稲荷下げや狐つきの真似はさせんぞよ。この道はきびしき行ざから楽な道なのぞ。上にも下にも花さく世になるのざぞ、後悔は要らぬのざぞ。カミは見通しでないとカミでないぞ、今のカミは見通しどころか目ふさいでゐるでないか。蛙いくら鳴いたとて夜あけんぞ。赤児になれよ、ごもく捨てよ、その日その時から顔まで変るのざぞ、神烈しく結構な世となりたぞ。
九月二十三日、ひつくのか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十五帖 (一五二)2 昭和十九年
神の国のカミの役員に判りかけたらバタバタに埓つくなれど、学や智恵が邪魔してなかなかに判らんから、くどう申しているのざぞ。臣民物言はなくなるぞ、この世の終り近づいた時ぞ。石物言ふ時ぞ。神の目には外国もやまともないのざぞ。みなが神の国ぞ。七王も八王も作らせんぞ、一つの王で治めさすぞ。てん詞様が世界みそなはすのざぞ。世界中の罪負ひておはします素盞雄の大神様に気附かんか、盲つんぼばかりと申してもあまりでないか。
九月の二十三日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十六帖 (一五三)3 昭和十九年
神が臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪にまけて汚して仕まうて、それで不足申してゐることに気づかんか。一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようがわれさへよけらよいと申してゐるでないか。それはまだよいのぞ、神の面かぶりて口先きばかりで神さま神さまてんしさまてんしさまと申したり、頭下げたりしてゐるが、こんな臣民一人もいらんぞ、いざと云ふときは尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ、犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ、神の申したこと一分一厘ちがはんのざぞ、その通りになるのざぞ。うへに唖きすればその顔に落ちるのざぞ、時節ほど結構なこわいものないぞ、時節来たぞ、あはてずに急いで下されよ。世界中うなるぞ。陸が海となるところあるぞ。今に病神の仕組にかかりてゐる臣民苦しむ時近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりてゐても、入も分らねばわれも分らん病ぞ、今に重くなりて来ると分りて来るが、その時では間に合はん、手おくれぞ。この方の神示よく腹に入れて病追ひ出せよ、早うせねばフニヤフニヤ腰になりて四ツん這ひで這ひ廻らなならんことになると申してあらうがな、神の入れものわやにしてゐるぞ。
九月二十三日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十七帖 (一五四)4 昭和十九年
まことの善は悪に似てゐるぞ、まことの悪は善に似てゐるぞ、よく見分けなならんぞ、悪の大将は光り輝いてゐるのざぞ、悪人はおとなしく見えるものぞ。日本の国は世界の雛形であるぞ、雛形でないところは真の神の国でないから、よほど気つけて居りて呉れよ、一時は敵となるのざから、ちっとも気許せんことぞ、神が特に気つけておくぞ。今は日本の国となりて居りても、神の元の国でないところもあるのざから、雛型見てよく腹に入れておいて下されよ、後悔間に合はんぞ。
九月二十三日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十八帖 (一五五)5 昭和十九年
われよしの政治ではならんぞ、今の政治経済はわれよしであるぞ。臣民のソロバンで政治や経済してはならんぞ、神の光のやり方でないと治まらんぞ、与へる政治がまことの政治ぞよ、臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のことぞ、日の光あるときは、いくら曇っても闇ではないぞ、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ、いくらあかりつけても夜は夜ぞ、神のやり方は日の光と申しして、くどう気つけてあらうがな。政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではないぞ。神の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分らぬか、神のやり方は人の身魂人のはたらき見れば直ぐ分るでないか。腹にチャンと神鎖まって居れば何事も箱さした様に動くのざぞ、いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ、この道理分りたか、ぢゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。神の政治はやさしい六ヶしいやり方ぞ、高きから低きに流れる水のやり方ぞ。神の印つけた悪来るぞ。悪の顔した神あるぞ。飛行機も船も臣民もみな同じぞ。足元に気つけて呉れよ、向ふの国はちっとも急いでは居らぬのぞ、自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の代と、気長くかかりてゐるのざぞ、神の国の今の臣民、気が短いから、しくじるのざぞ。しびれ切らすと立ち上がれんぞ、急いではならんぞ、急がねばならんぞ。神の申すこと取り違ひせぬ様にして呉れよ。よくこの神示よんで呉れよ、元の二八基光理てわいて出た現空の種は二八基と大老智と世通足となって、二八基には仁本の角、大老智は八ツ頭、八ツ尾、四通足は金母であるから気つけておくぞ。世通足はお実名に通いて分けてゐるから、守護神どの、臣民どの、だまされぬ様に致して下されよ。
九月二十三日、あのひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十九帖 (一五六)原文
四七十九二一十十三七三十九二四八十八八二一十九三六五一 三一九九一二三三四五五六七七八九九〇一三十卍十九〇ゝ十三九十八二二八十八十一十九三
九二四 一二 二三

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第十九帖 (一五六)6 昭和十九年
世成り、神国の太陽足り満ちて、皆みち足り、神国の月神、世をひらき足り、弥栄にひらき、月光、総てはみち、結び出づ、道は極みに極む、一二三、三四五、五六七、弥栄々々ぞ、神、仏、耶ことごと和し、和して足り、太道ひらく永遠、富士は晴れたり、太神は光り出づ、神国のはじめ。
九月二十四日、一二ふみ。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第二十帖 (一五七)7 昭和十九年
世界に変りたこと出来たら、それは神々様の渡られる橋ぞ。本清めねば末は清まらんぞ、根絶ちて葉しげらんぞ、元の田根が大切ざぞ、種はもとから択り分けてあるのざぞ、ぜんぶり苦いぞ。
九月の二十四日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第二十一帖 (一五八)8 昭和十九年
神界のことは顕界ではなかなかに分るものでないと云ふこと分りたら、神界のこと分るのであるぞ。一に一足すと二となると云ふソロバンや物差しでは見当取れんのざぞ。今までの戦でも、神が蔭から守ってゐること分るであらうがな、あんな者がこんな手柄立てたと申すことあらうが、臣民からは阿房に見えても、素直な人には神がかかり易いのであるから、早う素直に致して呉れよ。海のつなみ気をつけて呉れ、前に知らしてやるぞ。
九月二十五日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第二十二帖 (一五九)9 昭和十九年
われが助かろと思ふたら助からぬのざぞ、その心われよしざぞ。身魂みがけた人から救ふてやるのざぞ、神うつるのざぞ、のうつりた人と○のかかりた人との大戦ぞ、ゝと○とが戦して、やがてはゝを中にして○がおさまるのぞ。その時は○でなく、ゝもゝでないのざぞ、となるのざぞ、ゝと○のまつりぞと申してあらうがな。どちらの国も潰れるところまでになるのぞ、臣民同士は、もう戦かなはんと申しても、この仕組成就するまでは、神が戦はやめさせんから、神がやめる訳に行かんから、今やめたらまだまだわるくなるのぞ、○の世となるのぞ、○の世界となるのぞ。今の臣民九分通り○になりてゐるぞ、早う戦すませて呉れと申してゐるが、今夜明けたら、臣民九分通りなくなるのざぞ。お洗濯第一ざぞ。
九月の二十六日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第二十三帖 (一六〇)10 昭和十九年
この神示心で読みて呉れよ、九エたして読みて呉れよ、病も直るぞ、草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ。この道弘めるには教会のやうなものつとめて呉れるなよ、まとゐを作りて呉れるなよ。心から心、声から声、身体から身体へと広めて呉れよ、世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝へて呉れよ。神も人も一つであるぞ、考へてゐては何も出来ないぞ、考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ、考は人の迷ひざぞ、今の臣民身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、考へれぱいよいよと曇りたものになる道理分らぬか。一九れを気つけて呉れよ、日暮れよくなるぞ、日暮れに始めたことは何でも成就するやうになるのざぞ、一九れを日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐると間違ぶぞ。のくれのことを申すのざぞ。
九月の二十八日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第二十四帖 (一六一)11 昭和十九年
この方明神とも現はれてゐるのざぞ、臣民守護の為めに現われてゐるのであるぞ。衣はくるむものであるぞ、くるむとは、まつらふものぞ、神の衣は人であるぞ、汚れ破れた衣では神はいやざぞ。衣は何でもよいと申すやうなものではないぞ、暑さ寒さ防げばよいと申す様な簡単なものではないぞ。今は神の衣なくなってゐる、九分九厘の臣民、神の衣になれないのざぞ。悪神の衣ばかりぞ、今に臣民の衣も九分九厘なくなるのざぞ。の国、霊の国とこの世とは合せ鏡であるから、この世に映って来るのざぞ、臣民身魂洗濯して呉れとくどう申してあらうがな、この道理よく分りたか。十月とは十の月ぞ、一とhとの組みた月ぞ。
九月の二十八日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第二十五帖   (一六二)12 昭和十九年
新しくその日その日の生まれ来るのぞ、三日は三日、十日は十日の神どの守るのざぞ、時の神ほど結構な恐い神ないのざぞ、この方とて時節にはかなはんことあるのざぞ。今日なれば九月の二十八日であるが、旧の八月十一どのを拝みて呉れよ、二十八日どのもあるのざぞ。何事も時待ちて呉れよ、炒豆にも花咲くのざぞ、この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、時は神なりぞ。何事もぞの時節来たのざぞ、時過ぎて種蒔いてもお役に立たんのであるぞ、草物いふぞ。
旧の八月の十一日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第二十六帖   (一六三)13 昭和十九年
雨の日は傘いるのざと申して晴れたら要らぬのざぞ、その時その時の御用あるのざぞ、晴れた日とて傘いらぬのでないぞ、今御用ある臣民と、明日御用ある臣民とあるのざぞ、二歳の時は二歳の着物、五歳は五歳、十歳は十歳の着物あるのざぞ。十柱の御役もその通りざぞ、役変るのぞ。
旧八月の十二日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第二十七帖   (一六四)14 昭和十九年
天地には天地の、国には国の、びっくり箱あくのざぞ、びっくり箱あけたら臣民みな思ひが違ってゐること分るのぞ、早う洗濯した人から分るのぞ、びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけて居れん人出来るぞ、神の規則は日本も支那も印度もメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、一つにして規則通りが出来るのざから、今に敵か味方か分らんことになりて来るのざぞ。学の世はもう済みたのぞ、日に日に神力あらはれるぞ、一息入れる間もないのぞ。ドシドシ事を運ぶから後れんやうに、取違ひせんやうに、慌てぬやうにして呉れよ。神々様もえらい心配なされてござる方あるが、仕組はりうりう仕上げ見て下されよ。旧九月になればこの神示に変りて天の日つくの神の御神示出すぞ、初めの役員それまでに引き寄せるぞ、八分通り引き寄せたなれど、あと二分通りの御役の者引き寄せるぞ。おそし早しはあるなれど、神の申したこと一厘もちがはんぞ、富士は晴れたり日本晴れ、おけ。
十月の四日、ひつ九のか三ふみ。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第二十八帖   (一六五)15 昭和十九年
神の国には神の国のやり方、外国には外国のやり方あると申してあらうがな、戦もその通りぞ、神の国は神の国のやり方せねばならんのざぞ、外国のやり方真似ては外国強いのざぞ、戦するにも身魂みがき第一ぞ。一度に始末することは易いなれど、それでは神の国を一度は丸つぷしにせねばならんから、待てるだけ待ってゐるのざぞ、仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになりて来るぞ、神気つけるぞ。
十月六日、ひつくのか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第二十九帖 (一六六)15 昭和十九年
天明は神示書かす御役ぞ、蔭の役ぞ、この神示はアとヤとワのつく役員から出すのざぞ、おもてぞ。旧九月までにはその御方お揃ひぞ、カのつく役員うらなり、タのつく役員おもてなり、うらおもてあると申してあらうがな、コトが大切ぞコトによりて伝へるのが神はうれしきぞ、文字は通基ぞ、このことよく心得よ。天の異変は人の異変ぞ、一時は神示も出んことあるぞ、神示よんで呉れよ、神示よまないで臣民勝手に智恵紋りても何にもならんと申してあらうがな、神にくどう申さすことは神国の臣民の恥ぞ。神示は要らぬのがまことの臣民ぞ、神それぞれに宿りたら神示要らぬのざぞ、それが神世の姿ぞ。上に立つ人にこの神示分るやうにして呉れよ、国は国の団体は団体の上の人に早う知らして呉れよ。アとヤとワから表に出すと上の入も耳傾けるのざぞ。アとはアイウエオぞ、ヤもワも同様ぞ、カはうらぞ、タはおもてぞ、サとナとハとマとまつはりて呉れよ、ラは別の御役ぞ、御役に上下ないぞ、みなそれぞれ貴い御役ぞ。この神示上つ巻と下つ巻先づ読みて呉れよ、腹に入れてから神集ふのぞ、神は急けるぞ。山の津波に気つけよ。
十月の七日、七つ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第三十帖 (一六七)14 昭和十九年
一度に立替へすると世界が大変が起るから、延ばし延ばしてゐるのざぞ、目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言ふこと出来ず、同じ神の子でありながら余りにもひどいやり方、けものよりもむごいことになるのが、よく分りてゐるから、神が表に出て世界中救ふのであるぞ、この神示腹に入れると神力出るのざぞ、疑ふ臣民沢山あるが気の毒ざぞ。一通りはいやがる臣民にもこの神示一二三として読むやうに上の人してやりて下されよ。生命あるうちに神の国のこと知らずに死んでから神の国に行くことは出来んぞ、神の力でないと、もう世の中は何うにも動かんやうになってゐること、上の番頭どの分かりて居らうがな、何うにもならんと知りつつまだ智や学にすがりてゐるやうでは上の人とは申されんぞ、智や学越えて神の力にまつはれよ、お土拝みて米作る百姓さんが神のまことの民ぞ、神おろがみて神示取れよ、神のない世とだんくなりておろがな。真通ることは生かす事ぞ。生かす事は能かす事ぞ。神の国には何でもないものないのざぞ、神の御用なら何でも出て来る結構な国ぞ、何もなくなるのはやり方わるいのぞ、神の心に副はんのぞ。
十月七日、一二

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第三十一帖 (一六八)13 昭和十九年
この神示読ますやうにするのが役員の務めでないか、役員さへ読んでゐないではないか。神示に一二三つけたもの先づ大番頭、中番頭、小番頭どのに読まして呉れよ、道さへつければ読むぞ、腹に這入るものと這入らぬものとはあるなれど、読ますだけは読ませてやるのが役員の勤めでないか。旧九月になったら、いそがしくなるから、それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。いざとなりて地団太ふんでも間に合はんぞ。餅搗くには、搗く時あるのざぞ、それで縁ある人を引き寄せてゐるのざぞ、神は急けるのぞ。
十月の七日、ひつ九のか三いそぐ。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第三十二帖 (一六九)12 昭和十九年
仕組通りに出て来るのざが大難を小難にすること出来るのざぞ。神も泥海は真っ平ぞ、臣民喜ぶほど神うれしきことないのざぞ、曇りて居れど元は神の息入れた臣民ぞ、うづであるのぞ。番頭どの、役員どのフンドシ締めよ。
十月の七日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第三十三帖 (一七〇)11 昭和十九年
エドの仕組すみたらオワリの仕組にかからすぞ。その前に仕組む所あるなれど、今では成就せんから、その時は言葉で知らすぞ。宝持ちくさりにして呉れるなよ、猫に小判になりて呉れるなよ。天地一度に変ると申してあること近づいたぞ、世は持ちきりにはさせんぞよ、息吹き払ひて議論なくするぞ、ことなくするぞ、物言はれん時来るぞ、臣民見当とれんことと申してあらうが、上の人つらくなるぞ、頑張りて呉れよ。
十月八日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第三十四帖 (一七一)10 昭和十九年
神は言波ぞ、言波とはまことぞ、いぶきぞ、道ぞ、まこととはまつり合はした息吹ぞ、言葉で天地にごるぞ、言波で天地澄むぞ、戦なくなるぞ、神国になるぞ、言波ほど結構な恐いものないぞ。
十月十日、あめの一二か三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第三十五帖 (一七二)9 昭和十九年
日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土おろがめと申してあらうがな、日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願ひと申してあらうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。お土の上り下りある時近づいたぞ。人の手柄で栄燿してゐる臣民、もはや借銭済しの時となりたのぞ、改心第一ぞ。世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしだから、身魂みがいたら分るから、早う身魂みがいて下されよ。身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁の谷ヘポンと落ちるぞ。神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済しがはじまってゐるのぞ、済ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日ぞ、みそかは闇ときまってゐるであらうがな。借銭返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持よいであらうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返して呉れよ、番頭どの、下にゐる臣民どの、国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、その国その民のやり方伝へてあらうがな、九十に気つけて用意して呉れよ。
十月十日、ひつ九のか三。

ひふみ神示 第五巻 地つ巻 第三十六帖 (一七三)8 昭和十九年
二二は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士から世界中にみいづされる時近づいたぞ。富士は火の山、火の元の山で、汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示あてにならんだまされてゐたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、身魂芯から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあらうがな、山から野から川から海から何が起っても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧はらひて呉れよ、み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、気つかんと痛い目にあふのざぞ、誰れかれの別ないと申してあらうがな。いづれは天の日つくの神様御かかりになるぞ、おそし早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、よくとことん掃除せねば御かかり六ケしいぞ、役員も気つけて呉れよ、御役ご苦労ぞ、その代り御役すみたら二二晴れるぞ。
十月十一日、一二か三。
                           (地つ巻了)

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