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ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 全十九帖  自 昭和二十二年八月十三日 至 昭和二十二年八月二十三日  四九三帖〜五一一帖

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第一帖(四九三)13 昭和二十二年
海の巻書きしらすぞ、五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、皆始は結構であったが段々と時経るに従って役員が集ってワヤにいたしたのぢゃ、気の毒ぞ、神の名汚しておるぞ。大日月と現はれたら、何かの事キピシクなって来て、建替の守護と建直の守護に廻るから、その覚悟よいか。間違った心で信心すれば、信心せんより、も一つキピシクえらい事がみちはじめみつようになるぞ。今に此処の悪口申してふれ歩く人出て来るぞ、悪口云われだしたら結構近づいたのざと申してあろ、悪口は悪の白旗ざぞ。飛んで来て上にとまってゐる小鳥、風吹く度にびくびくぢゃ、大嵐来ん前にねぐらに帰って下されよ、大嵐目の前。此処は先づ苦労、その苦労に勝ちたら、己(おのれ)に克ちたら魂磨けるぞ、段々と楽になって嬉し嬉しとなるぞ、結構な仕組、知らしたら邪魔入るなり、知らさんので判らんなり、心でとりてくれよ、世界の民の会なせばなる、なさねば後悔ぞ。
八月十三日、一二

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第二帖(四九四)14 昭和二十二年
権小道師から上は神の帖面につくのであるぞ、参道は仮ぞ。合せて四十九かヘミタマ六参道仮ざからそのつもり結構ぞ。一帖、三十帖、二帖、二千九帖と云ふ風に読み直ほして下されよ、三十帖一切として上下まぜまぜにして上下ひっくり返して読み直してくれよ。火の守護から水の守護に変って居るのであるから水の蔭には火、火の蔭には水ぞ、この事忘れるなよ、この中には化物ゐるのざぞ、化物に化かされん様におかげ落さん様に致して下されよ、神くどう気付けおくぞ。八月十四日、ひつ九の

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第三帖(四九五)15 昭和二十二年
今迄は神様も別れ別れで勝手にしてゐたのであるから、神様の申された事にも間違ひとなることあったのぢゃ、今でも神様はウソを申されんのであるが、和合なく離れ離れであったから、自分の目で届くグルリは、自分の力の中では誠であっても、広い世界へ出すと間違ったことになってゐたのぢゃ、神のお示しが違ったと申して其の神様を悪く申すでないぞ、今の上に立つ人も同様ざぞ、心得なされよ。今度は愈々一致和合して、大神様の仕組結構が相判り来て、大日月の神となりなされて現はれなさるのぢゃ。判りたか、雨結構、風結構、岩結構、荒結構、地震結構。
八月十四日、ひつくのかミ

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第四帖(四九六)15 昭和二十二年
出てきてから又同じ様なこと繰り返すぞ、今度は魂抜けてゐるからグニャグニャぞ、グニャグニャ細工しか出来んぞ、それに迷ふでないぞ。神示が肚に入って血になると、何が起って来ても結構であるが、始の内は、ちょっとの事で迷の雲が出て悪のとりコとなって苦しむぞ、悪はないのであるが、無い悪を人民の心から生むのざぞ、悪のとりことなって苦しむが見へてゐるから、苦も結構なれどいらん苦はいらんぞ、神示よく読んで苦を楽とせよ、楽は喜びぞ、苦のハタラキが楽ぞ、楽は喜びぞ、光ぞ、神人共のまつりぞ、楽で岩戸開けるぞ、苦しんで開く岩戸は誠の岩戸でないぞ。
八月十四日、ひつくのかミ。

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第五帖(四九七)14 昭和二十二年
今日(こんにち)までの御教(みおしえ)は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教ぞ、この御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことのおろかさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみ、悪殺すてふ其のことが、悪そのものと知らざるや、神の心は弥栄ぞ、本来悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ、八股おろちも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の輝く時ぞ来るなり、善いさかへば悪なるぞ、善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ、只御光の其の中に、喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、只御光に生きよかし、生れ赤児となりなりて、光の神の説き給ふ、誠の道をすすめかし、マコトの道に弥栄ませ。
八月十五日、のひつ九のしるす。言答明けたる今日ぞ目出度し、二の言答早よう明けてよ。

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第六帖(四九八)13 昭和二十二年
いくら利巧でも今迄の人間心では神の仕組は分らんぞ、帰るに帰れず、他を探しても根本のマコトを伝へる所はなし、泣く泣くつらい思ひせねばならんぞ、くどう気つけてゐるのざぞ、慢心取違ひの鼻高さん、路頭に立たねばならんぞ。一二四、結構な日に生れたのぢゃ、この日に生れた仕事は皆よくなるぞ、この神示よく読んでくれたら何を申さんでも、何を聞かんでも、よいことになるのであるぞ、戦や天災では人の心は直らんと申してあろが、今迄のどんなやり方でも人の心は直らんぞ、心得なされよ、
八月二十三日、一二

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第七帖(四九九)12 昭和二十二年
今度は先づ心の建直しぢゃ、どうしたら建直るかと云ふこと、この神示読んで覚りて下されよ、今度は悪をのうにするのぢゃ、のうにするは善で抱き参らすことぢゃ、なくすることでないぞ、亡すことでないぞ、このところが肝腎のところぢゃから、よく心にしめて居りて下されよ。この世は一つの神で治めんことには治まらんぞ、ゝでくくるのぢゃぞ、人民の力だけでは治らんのぢゃぞ、一つの教となってそれぞれの枝葉が出て来るのぢゃ、今では枝から根が出て大切なミキがなくなって居るのぢゃぞ、中つ代からの神では何も出来んと申してあろがな、神と人と一つになって一つの王となるのぢゃ、上下揃ふて一つになるのぢゃ、善も悪もあななひて、一つの新しき善となるのぢゃ、王となるのぢゃぞ、
八月二十三日、一二

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第八帖(五〇〇)11 昭和二十二年
折角神が与えたおかげも今の人民では荷が重いから途中で倒れん様に神示を杖として下されよ、イキ切れん様になされよ。一つでも半分でも神の御用つとめたらつとめ徳ざぞ、何と申しても神程たよりになるものはないと判らんのか、おかげ取り徳。破れるは内からぞ、外からはピクとも致さんぞ。天では月の大神様、ミ、ヤ、カ、ラ、ス、出て来るぞ、始末よくして下されよ、始末よく出来れば何事も楽になって来るぞ、火のタキ方から水の汲み方まで変るのであるぞ、大切なことであるぞ。うそはちっとも申されんこの神示通りに出て来るのぢゃ、先の先の先まで見通しつかん様な事では、こんなタンカは切れんのざぞ、おかげは其の心通りに与へてあるでないか。下の神が上の神の名をかたりて来ることあるぞ、それが見分けられん様では取違ひとなるぞ、十人位は神示がそらで云へる人をつくっておかねばならんぞ。
八月二十三日、一二

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第九帖(五〇一)10 昭和二十二年
マコトの改心は愈々とならねば出来んものぢゃが、出来んことも無理もきかねばこの峠越せんこともあるのざぞ。天も近うなるぞ、地も近うなるぞ、田舎に都、都に田舎が出来ると申してあろが、も少し人民に判りて来んと今びっくり箱をあけたら助かる人民一分もないぞ、早う知らしてくれよ。神せけるなれど人民中々云ふこと聞かんから物事おそくなるばかり、おそくなれば益々苦むばかりぞ。色はにほへど散るものぞ、世の乱れ神界のいろからであるぞ、気つけておくぞ。日の本の国を取らうとしても何とだましても御先祖様には何も彼も世の元からの仕組してこの事判ってゐるのであるから、悪のやり方よ、早う善にまつろへよ、まつろへば悪も善の花咲くのぢゃぞ。
八月二十二日、一二神示(ふで)。

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第十帖(五〇二)9 昭和二十二年
この方悪神、祟神(たたりがみ)と人民に云はれてトコトン落されてゐた神であるぞ、云はれるには云はれるだけの事もあるのぢゃ、此の方さへ改心いたしたのであるぞ、改心のおかげで此の度の御用の立役者となったのぢゃぞ、誰によらん改心致されよ。改心とはまつろふ事ぞ中行くことぞ判りたか。今度は十人並のおかげ位では誠の信心とは申されんぞ、千人万人のおかげを取りて下されよ、千人力与へると申してあろが、大事な御先祖様の血統を皆世に落して了ふて無きものにして了ふて、途中からの代へ身魂を渡りて来た身魂(ミタマ)を、まぜこぜの世と致して、今の有様は何事ぞ、まだ判らんのかなあ、人民もぐれんぞ。
八月二十三日、一二

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第十一帖(五〇三)8 昭和二十二年
だました岩戸からはだました神が出て、ウソの世となったのぢゃ、この道理判るであろう、ニセ神やら、だました神やら、次々に五度の岩戸締めと申してあろが、タンバはタニハ、田庭とは日の本の国ぞ世界の事ぞ、タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ、日の本と云ふ事ぞ、キミの国ざぞ、扶桑の国ざぞ、地場ざぞ、判りたか。地場を固めなならんぞ、五十鈴の川はムツの川、和合の川ぞ。社殿(やしろ)は八方に開く時来たら八尋殿(やひろどの)建てて下されよ、マコトの八尋殿。何も判らん無茶苦茶者が、偉ら相な名の神がかりして、何も知らん人民をたぶらかしてゐるが、今に尻尾を出して来るぞ、尻尾つかまらん内に改心して神の道に従って来いよ。
八月二十三日、一二

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第十二帖(五〇四)7 昭和二十二年
神は人民には見へん、たよりないものであるが、たよりないのが、たよりになるのであるぞ。外国行とは幽界行の事ぞ。時節来て居れど人民心でせくでないぞ、せくとしくじるぞ。あちらに一人、こちらに一人、と云ふ風に残る位むごい事にせなならん様になってゐるのざから、一人でも多く助けたい親心汲みとりて、早う云ふこと聞くものぢゃ。ここ迄神示通りに出てゐても、まだ判らんのか、疑ふのにも余りであるぞ。地に高天原が出来るのざぞ、天の神地に降りなされ、地の神と御一体と成りなされ大日月の神と現はれなさる日となった、結構であるぞ、肉体の事は何とか分るであろが、タマは判るまい、永遠(とわ)にタマは生き通しであるから、タマの因縁の判る所は九九(ここ)の二(ふ)でより他にはいくらさがしてもないのざぞ。
八月二十三日、一二

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第十三帖(五〇五)6 昭和二十二年
表に出て居る神々様に和合して貰ふて世の建替にかかりて下されよ、苦労なしには何事も成就せんぞ、苦を楽めよ。此の世を乱したのは神界から、此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、この道理判るであろがな、建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞよ。秘密は秘密でないぞ、火水であるぞ、明らかな光であるぞ、火水のマコトを悪神にたぶらかされて判らなくなったから、秘密となったのであるぞ、秘密は必ず現はれて来るぞ。あと七つの集団が出来るぞ、一には@のしるしつけよ、この世一切のことを建替へるのぢゃ、神の道も変へるぞ、心のおき所も変へるぞ。
八月二十三日、一二

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第十四帖(五〇六)5 昭和二十二年
何も分らん枝葉の神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、早う其の神と共に此処へ参りて、マコトの言を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ、○九十(マコト)とは〇一二三四五六七八九十であるぞ、一二三四五六七八かくれてゐるのざぞ。縁あればこそ、そなた達を引寄せたのぢゃ、此の度の二度とない大手柄の差添へとなって下されよ、なれる因縁の尊い因縁をこわすでないぞ。見て見よれ、真只中になりたら学でも智でも金でもどうにもならん見当取れん事になるのぢゃ、今は神を見下げて人民が上になってゐるが、さうなってから神に助けてくれと申しても、時が過ぎてゐるから時の神様がお許しなさらんぞ、マコトになってゐれば何事もすらりすらりぞ。
八月二十三日、一二

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第十五帖(五〇七)4 昭和二十二年
学や智や金がチラチラ出る様では、マコトが磨けては居らんのぢゃ、今の法律でも、教育でも、兵隊でも、宗教でも、この世は建直らんぞ、新しき光が生れて世を救ふのぢゃ、新しき光とはこの神示ぢゃ、この神ぢゃ。七つの花が八つに咲くぞ、此の神示八通りに読めるのぢゃ、七通までは今の人民でも何とか判るなれど八通り目は中々ぞ。一厘が、かくしてあるのぢゃ、かくしたものは現はれるのぢゃ、現はれてゐるのぢゃ。何でもない事が中々のことぢゃ、判りたか。
八月二十三日、一二

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第十六帖(五〇八)3 昭和二十二年
今はなれた人民、此処がよくなったと云ふて帰る事ははづかしい事になって、帰っても変なことになるぞ、今の内に早う立ち返って御用結構ぞ。世界に、人民に判らんめづらしき事を出すぞ、皆この神の仕組であるから、変りたこと、判らん事がい愈々となったら、神代近づいたのであるぞ。役員には神示の肚に入った者がなるのざぞ、役員の御魂は沢山あれど、神示読まねば役員にはなれないのざぞ、なればスコタンばかり、長らく世に落ちて居た神人神々様を世にお上げせねば世はよくならんのざぞ、軽く見るから神示分らんのぢゃ、人も軽く見てはならんぞ。
八月二十三日。一ニ

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第十七帖(五〇九)2 昭和二十二年
天地ひっくり返ると云ふことはミタマがひっくり返ると云ふことぞ。神示読みて聞かせよ、目も鼻も開けておられん事が、建替への真最中になると出て来るぞ、信仰の人と、無信仰の人と、愈々立分けの時ぢゃぞ、マコト一つで生神に仕へ奉(まつ)れよ。
八月二十三日、ひつ九

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第十八帖(五一〇)1 昭和二十二年
人民の我では通らん時となった位判って居らうがな、早よ我捨ててこの方について参れよ、素直にいたせば楽に行けるのざぞ、大峠越せるのざぞ、時節の仕組中々人民には判るまいがな、悪抱き参らす為には我が子にまで天のトガをおはせ、善の地の先祖まで押込めねば一応抱く事出来んのであるぞ、ここの秘密知るものは天の御先祖様と地の御先祖様より外には無いのであるぞ。我が我がと早う出世したい様では、心変へんと人民は御用六ケ敷いぞ。神に分けへだてなし、へだては人民の心にあるぞ。此の道は因縁なくしては判らん六ケ敷い道であれど、此の道つらぬかねば、世界は一平にならんのぢゃ、緑ある人は勇んで行けるのぢゃ、神が守るからおかげ万倍ぢゃ、神の帖面間違ひないぞ、思ふ様にならぬのは、ならぬ時は我の心に聞いて見るがよいぞ、神の仕組は変らねど、此の世では、人民の心次第で良くも悪くも出て来るのぢゃ、仕事は変らねど出て来るのが変るのざ、悪く変ると気の毒なからくどう申してゐるのぢゃぞ。
八月二十三日、一二

ひふみ神示 第廿三巻 l三(ウミ)の巻 第十九帖(五一一)1 昭和二十二年
三三(みみ)に一二三(ひふみ)聞かするぞ、愈々身実(みみ)に聞かす時ざぞ。それぞれ人に応じて時によって口から耳に肚(はら)から肚(はら)に知らしてくれよ、あなさやけ、あなすがすがし、言答(いわと)開けたり、二十三巻で此の方の神示の終り、終りの終りぞ、後の七巻は他から出してあるのざぞ、いづれ判りて来るぞ、合せて三十の巻、それが一つの節ざぞ、天明身実(みみ)に聞かすぞ、よきにはからへ、この行中々ざぞ。
八月二十三日、ひつ九の神示これまで。

                             (l三の巻了)

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